実に奇麗な人間だった。 美しく人を殺し、美しく涙を流し、美しく笑う。そんな人間。神が全ての力をその人間に注ぎ込んだようだった。 神に愛された人間など興味はないと思っていた、今まで。 僕は神を信じないし愛さない。況してや人間など。僕が興味があるのは、赤。どす黒い汚れた血。 其れが噴き出る瞬間は、喩え生命が途絶える瞬間で有ろうとも、素晴しく美しい。 「貴方が死ぬ時は、どんな赤が流れるのでしょうか」 「さあ?真黒かもしれない」 「まさか。神に愛された人間から漆黒の血など。」 「…いつから、そんな風に言われるようになったのかな」 彼女は黒いソファに深く腰掛けながら言う。組んでいる足は、細長く白い。…眩しい。僕は彼女の正面に座りながら、彼女の顔を見れないでいた。 自分で組んでいる指を俯き加減で見つめながら、彼女と会話している。何て失礼な男だろうと思うだろうか。そんなことはないだろう。 眩しすぎるのだ。あの金色で長いストレートの髪も、大空を思わせるような蒼い瞳も、白く透き通るような肌も。全て。 自分は汚れすぎている。彼女を見るには少し、黒過ぎた。手遅れなのだ。いや、手遅れなんて簡単に表現できる言葉じゃない。今まで綺麗だった事なんて一度もない。この世に生を受けた時 すらもだ。僕は真黒だ。今までも、これからも。 「貴方は、どうして人を殺める?」 「骸は?」 「僕は、復讐の為ですよ。其れ以上のものはない」 「…骸は、人が怖いんだね」 僕は初めて顔を見上げた。彼女は悲しいような苦いような顔をして笑っていた。いつもの眩しい笑顔じゃない、普通の、人間の顔だった。驚いた。この人もこんな顔をできたのかと。 もっと、無慈悲で、それでいて全ての者を愛している、そういう、まさに神から生まれたような人間なのかと思っていた。 僕は自分で思うより驚いた顔をしていた様で、暫らく、彼女の顔を見つめたままでいた。彼女が、また何時もの様な眩しい笑顔に戻った時に、我に返った。 「怖い、ですか。考えたこともありませんでした」 「そっか。でも、骸だって、人間だから、怖いことぐらいあると思うよ」 「…人間?この僕が?」 また驚いた。さっきよりも、更にだ。この僕が、人間?そんな馬鹿な。 「僕は人間じゃない」 自分でもわかるほど声が震えていた。組んでいる指に力がこもる。動揺している?この僕が。彼女によって。この神に愛された人間によって、惑わされている。 「僕は、人間ではありません」 「それじゃあ、何?骸は、何という生物?」 昔のことが蘇った。悪魔と罵られ、この目を使う日までずっと、雑草のような扱いをされてきた。何という生物、だと? 「そんなの、僕が一番知りたいですよ」 「…じゃあ教えてあげる。骸は人間だよ。とても人間らしい、人間だ」 この僕が人間だと言われた。今まで悪魔と言われてきた日々が、引っ繰り返ったようだった。この僕が人間。悪魔だと思い込んでいた硬くて黒い硝子が、ガシャン、と 音を立てて崩れ落ちていく。跡に残ったのは、白い光。此の湧きあがってくる感情は一体何なのだろう。悲しいとは違う。今までの 自分を失った虚無感でもない。…喜びだ。 嬉しかったのだ。 「じゃあ貴方は何です?」 私は、と言いかけて、言葉が途切れた。じゃあ、貴方は何なんだ。私は神だとでも言うのか?神から生まれたのだから当然だろう、と。またいつもの笑顔で呟くのだろうか。 彼女は立ち上がり、僕の前まで来て、見下ろす。女性に見降ろされるのは、初めてかもしれない。でも、不思議と不快ではなかった。それは、彼女だからだろうか。 すっと白い腕を眼の前に差し出す。ワンピースのポケットから、磨き抜かれた一本のナイフを取り出す。僕は茫然とそれを見つめる。 何をするつもりだ、と思った時にはもう彼女の白い腕からは鮮やかな赤い血が流れ出ていた。 「私も人間だよ」 |