夕方の自主連を終えた私はくのたま長屋に帰ろうと森を横断しているところだった。今日は少しだけ無理を利かせた練習を行ったためか、装束は泥だらけで土臭い。髪の毛も砂に当たったのか握るとぎしぎしと不快な音を立てていた。

「疲れた…早くお風呂入りたい」

ぽつ、と一人ごちてから歩く速度を少し早めた。ようやく森を抜けると長屋が遠くに見えてきて、手近にある枝を傷の付いた手でどけながら歩を進めて、やっと木の行列から抜けたと思った、その時。

「うわああっ!?」

景色が上に流れて、どすんと尻もちを付いた。どうやら落とし穴に落ちたらしい。瞬時に悟った。

 疲れた体にこの仕打ち。思ったよりも深かった落とし穴。私は長いため息をついて上半身を起こした。私がちょうどすっぽりと納まるくらいの大きさの穴の中は、外よりか少し湿っていて、生ぬるい空気が流れていた。

「誰よお、こんなとこに穴掘ったのは!」

くそう、と悪態を付いていると、ジャリ、と上から砂を踏みつける音が聞こえて思わず息をひそめる。穴の出口を見上げると、ひょろりと見覚えのある顔がこちらを覗き込んでいた。

「おやまあ」

しまった、と思った。まさかとは思ったけどこの男の罠に引っ掛かってしまうなんて。

「誰かと思ったら、君かい」
「バカにしてるんですか、綾部喜八郎くん」

そう言うと、「そのとおり」と言って綾部くんは顔に掛かっていた髪を後ろに流した。
少しは社交辞令というものを身につけてみたらどうだ。真正面からバカにされて、誰だっていい気はしないだろう。

「こんなにわかりやすく掘った蛸壺にはまるなんて、馬鹿としか言い様がないね」

そんなにはっきり言わなくたって、いいじゃないか。こちとら体力を限界まで使って疲れていたのだから、しょうがない。そんな言い訳なんてできるわけもなく、私はむすっとした顔を浮かべた。

綾部くんはそれから何も言わない。じっとぼろぼろになっている私を穴の外から見下ろしていた。やはり、いい気はしない。

「綾部くん、暇なの」
「鍵縄か何か持ってないの」
「早く出たいの」
「泥だらけだし、お風呂入りたいし」
「綾部くん」

不安になって綾部くんに何度も問いかけてみるけれど、反応はなく、ただじっとこちらを見つめているだけだった。何だか、私のこの様はとても滑稽だ。

 どうしよう、とずっと上に向けていた顔を下に向けてはあ、とため息をつく。少し肌寒くなってきた。上から降り注ぐ光が遠のいてきたのが、何よりの証拠だろう。
すると、唐突にぱらぱらと上から砂が降ってきた。咄嗟に手で目を守るようにして上を見上げると、穴から綾部くんの足だけが見えていた。それからはもう早い早い。「あ」という声も出せないうちに、綾部くんが私の上に降ってきたのだ。

 瞬間的に目を瞑って身体をこわばらせると、どん、と地面が揺れる感覚を覚えたのに思っていた重さは私の上に掛かってこないことに気が付いた。恐る恐る目を開けると、目の前には紫の忍装束が広がっていた。黒の前掛けが、土で少し汚れている。
 私の顔の横に手をついて、足は私を跨ぐようにして、綾部くんはそこに居た。わかりやすく言えば、私の上に。でも、重さはわからなかった。ただ、綾部くんと触れ合っている足や、近づいている顔が、妙に熱くなっているのをただただ感じていた。

「さあ… これで私も馬鹿、だ」

やっと何か喋ってくれたと思ったら、綾部くんは何を言っているのだろう?と少し考えて、そういえばさっき綾部くんに「馬鹿」と言われたのを思い出した。

「目には目を、歯には歯を」

そう言ってだんだんと綾部くんの顔が近づいてくる。私は緊張と驚きで何も言えないし、身体のどこも動かせなかった。

「馬鹿には馬鹿を… お似合いだと思わない?」


初めて触れあった唇は、少し土の味がした。なんて言ったら、雰囲気に欠けるかな。



「ま、君に拒否権なんて、元より存在しないんだけど」









(泥だらけの招待状)





かなこに捧げます!初綾部でしたがなんかもう綾部じゃないよねこれね!ごめんなさい!返品可能です。
遅くなりまして申し訳ありません… リクエストありがとうございました!