夏の日照りが強くなり、みんな薄着し始めるころ、あたしは、ふと思ってしまう。この今あたしが立っているこの場所ではこんなに暑い夏なのに、地球の反対側では、今は冬真っ盛りで、雪がきっとたくさん振っているのだろう。今ここにいるあたしたちは、夏に夢中で冬を忘れてしまう。この前まで肌寒かった感覚さえ忘れてしまう。そして、冬が来ると鬱陶しく思う。
冬は、こんなあたしたちをどんな角度で、どんな光を浴びせながら見物しているのだろう。くだらないことに毎日を費やしている人々を、はたして神様は、どう考えて、どう思いながら見ているのだろう。大切なものは確かにここに存在しているのに、その存在を自覚していながら、あたしたちは気にしない風に、もっといえば知らないみたいに生活して、いつかは、大切なものを「いらない箱」につめてどこかへ置いて行ってしまうのではないか。それが今のあたしは、とても恐ろしい。



振り返ると、カランと音を立てるグラスを持った泉が居た。あたしは身体ごと回転させて、正座したまま泉に向き合う。すると泉はゆっくりとこちらに近寄ってきてあたしの前に、氷で現在進行形に冷やされている水が入った透明のグラスを差し出した。

「休憩しねえ?もう3時間も詰めっぱなしだろ」

正座を崩して血行が良くなった足をまっすぐに伸ばして、一気に冷たい水を飲み込む。ひんやりとした感覚が、口の中から喉を通って吸収されていくのがわかって、とても心地よかった。ぷあーっと息を吐いて、ありがとうと言うと泉は、どういたしまして、と言って自分も同じものを、あたしと同じように飲んだ。首だけ動かして、あたしがさっきまで向かっていたキャンバスに目をやると、「結構進んだな」と言った。

「これ製作時間どんくらい?」
「んー・・・5時間ぐらいかなあ?まだ終わんないけど」
「いや、このペースで言ってたらもうすぐだろ」

はやることが早いからな、って言って泉が笑った。

「泉の課題は?」
「俺はもう終わった」
「うっそ!」
「今さっきだけどなー、だからこっち戻ってきた」

正直言うと、こっちのアトリエのほうが落ち着くからなんだけどさ。そういう泉の言うことがよくわかって、あたしも笑った。

「これ、何がテーマ?」

うん?と聞き返すと、「この絵のテーマだよ」と言って親指でくいっとキャンバスを指差した。

「この絵の?」
「そう、なんかあんだろ」
「んー…  《行き着く先のない未知の世界》  」
「はー…スケールがでかいな」
「あたしもそう思う」
「これはまた何でそのテーマにしたんだ?」

「意外っちゃー意外だぞ」と言って最後の一口を飲み干す泉を見ながら、あたしの手を冷やす空のグラスに視線を落とした。まだ溶けきってない氷が濡れている。

「これは、お前の願望の現れか?」
「どうだと思う?」
「俺には、お前が未知の世界を探しているように、見えるな」
「当たりと言えば当たり、だけど・・・」
「ん?」
「あたしも実は、何でこのテーマにしたのかわかってない」

ただなんとなく、こんな絵が描きたいなーって思っただけ!そう言って苦笑すると泉は少しきょとんとした顔をしてからすぐに頬の筋肉を緩めて、目を細めた。

ぶるぶると携帯が鳴って、液晶画面を除くと「花井くん」だった。急いで受信ボックスを開く。

「誰?」
「…花井くん」

名前を告げると泉は「…あぁ、」って言ってニヤリと笑った。「何で笑うの」って言ってもただにやにやしてるだけで、答えてくれなかった。 わかってるけどさ!

「なんて?」
「んー… 『まだやってる?今から田島とそっちいくけど』」
「ふーん、やっと終わったのか課題」
「無事に提出できて何よりだねえ」

最近、いつもより難しい課題を出されて、花井くんはここ3日間ぐらい眼の下にクマを作りつつもちゃんと授業にも出つつ課題を仕上げていたのだった。『泉もいるからおいで』っていう内容のメールを返信すると、興味ありげな顔であたしの顔を覗き込んでくる泉が居てびっくりした。

「で?」
「何が…」
「どうなの、花井とは」

この泉の顔は、答えは知ってるけどあえて聞く、っていう顔だ。わかってしまう自分がむかつく。

「何って…何もないよ、本当に」

そういうと泉は、へえ?と言って背筋を伸ばして背中をボキボキと鳴らした。

「なんか面白い話ないの?」
「泉はあたしに面白い話を望んでるの?」
「トーゼン。面白くないより面白い話のがよっぽどいい」
「そりゃあ、そうだけど」
「手が触れ合ったからどきどきしたーとか、そういうのも全く?」
「ない」
「意味深なメールが来た!とかは?」
「…やめて…空しくなるから…」

ため息をつきながら言うと、泉は笑いながらあたしの背中をポンポンと叩いて、

「ま、お前のペースでやってけばいいよ!」

と、言った。

あたしのペースで。