夢を見た。まるで産湯に使ってるような暖かさで、俺を誘う、心地よい夢。それは、俺がいい気持で眠った時によく見る、そしていい気分で起きて学校に行ける、優しい夢だった。昨夜見たのもその夢で、まだその余韻に浸りながら、俺は風呂に入っている。まだぽかぽかしているくせに、何がどうとか、そんな詳しい事は全くもって覚えていないのだけれど。

古い木の扉の向こうで、栄口が俺を呼んだ。この薄い木でできた扉の作りは、どこで何をしてても音が筒抜けだ。隣に聞こえる心配もあるが、あいにくこのアパートには今のところ俺と栄口の二人しか住んでない。空き部屋が多すぎて大家さんが困っているみたいだけど、俺達にとっては都合が良い。無駄な気遣いを使わずにすむし、何より、背筋を伸ばせるいいところだった。

「水谷ー、飯先食っちゃうぞ」

扉の向こうで少しこもって聞こえる栄口の声に、シャワーに打たれながら返事をする。

「もう出るから待っててー!」

俺の頭にまとわりつく、香りのよい泡を見て、俺はなぜか、あの子を想った。



「いただきまーす」
「いただきまーす」

二人分の飯ぐらいしか置けないような小さいテーブルの両端に座る。白飯をかきこむと、栄口が「喉詰まらすぞー」と言いながら笑った。うん、経験済みだよ栄口。俺あの時本気で死ぬかと思ったからね。阿部とかは助けてくれなかったけど。まだポタポタと首に巻いたタオルに濡れた髪から落ちる雫を丸無視して目の前の晩飯に目を光らせた。

「この光景にも慣れたよなあ」
「んー、うまい!」
「水谷、話聞いてる?」
「ひいへうー!はひはにはえはよえー」
「ほらお茶!口の中からにしてからしゃべりなさい」
「ぷはっ、聞いてる!確かに慣れたよね!順応早いからなあ俺」
「まあ家賃も半分で済むし楽っちゃー楽な生活だよね」

栄口はきれいにご飯を食べる。育ちがいいからなのかと思って、住み始めて最初のころ、「きれいにごはん食べるよね」って言ったら、「そういう家だったからさ」といって苦笑した栄口は、なんだか、さみしそうだった。

「そう言えば水谷、今日なんか嬉しそうだよね」
「ん?なんで?」
「なんか、いい感じですっていうオーラが出まくってる」
「まじで!栄口は鋭いなあ」
「なんかあったの?」
「いや、実はまたあの夢見てさ」
「ああ、あの《あったかい夢》?」
「そう!」

あの夢見ると調子よくってさー!と言って皿の上に残っていたキャベツやニンジンを箸で全部摘まんで口の中に放り込んだ。栄口ももう食べ終わったらしく、箸を置いて頬杖をついている。

「水谷って、そういうとこわかりやすいよね」
「そう?」
「うん」
「例えばどんな?」
のことが好きとか」
「ぶっ!」

飲んでいたお茶を思いっきり吐き出してしまった。「うわああっ」と言いながら栄口が急いでテーブルの上をティッシュで吹く。

「なっなっ、な、」
「何で知ってるの、って?」

涼しい顔で笑いながら、「だから、水谷はわかりやすいんだって」と栄口は言った。口元を手の甲で拭きながら、顔が熱くなっていくのを自覚して、口から手の甲まで熱が移るんじゃないかとか、本気で思った。

「そ、そんなにわかりやすい…?」
「そりゃもう」
「まじでええ…?すっげーへこんだ、っつか、え、も気づいてると思う!?」
「それはないんじゃないかな?鈍そうだし、あの子」

「そ、そっか、よかった…」とため息交じりに言って胸をなでおろすと、栄口は微妙な顔をして「気づいてたら、いけないの?」と言った。俺は前のめりになりながら「そりゃそうだよ」と言って頭をガシガシと掻いた。

「本人に知られてるなんて、いやじゃん」
「どうして?付き合えるかもしれないのに」
「いやだから、そこまで発展してもいないっていうか…その…」
「ああ、恥ずかしいんだ、水谷は」
「う」

栄口はたまに、こういうズバッというところがあるから、内心どきどきする。もしかしたら、腹の中で考えてることと表の栄口って違うんじゃなかろうか、とか。でも、そんなことはきっとないんだろうな、と思う。いや、訂正。少しはそう言うところはあるんだろうとは思うけど、この目の前の栄口は偽りなんかじゃないと、思う。だって人間って、そういうもんだと思うし。

「ま、がんばりなよ、愚痴ぐらいなら聞いてやるしさ」
「さかえぐちい…」
「よしよし」
「お前ってホントいいやつだよね…!文貴感動した!」
「そう?それじゃあ皿洗いよろしく、俺はもう寝ます」
「えっ!嘘!」
「布団敷くからテーブルどけてー」
「栄口いいいい」

うん、やっぱり、栄口ってちょっと腹黒いところがあるかも、しれない。