「入るぞー…」 がちゃ、と静かな部屋のドアを開けると、見慣れた部屋のベッドの上で荒い呼吸をしている彼女を見つけた。 朝学校に行くと幼馴染兼彼女が学校に来ていないのに気がついた。遅刻かと思っていたが、1限目の終りのチャイムが響いてもあいつは来なかった。様子がおかしいと思ってメールをしてみたら、「風邪ひいた!やすむ!寝る!」という3単語が並べられて返ってきた。あいつが風邪?あの元気が取り柄のが風邪?俺はとりあえず「大丈夫かあ?しっかり寝とけ」と言ってメールを切った。風邪なら携帯をいじっている暇などないだろう。 しかしその後の俺は散々だった。先生に当てられても答えがわからずに小言を言われる、消しゴムを落として拾おうとしたら机に頭をぶつけて爆笑の渦を巻き起こす、部活ではシュートを何本も連続で外して、河田さんにプロレス技をいつもの3倍かけられて、しまいには深津さんから「今日のお前はエースじゃなくてただの1年坊だピョン」とボロクソに言われた(さすがに応えた)。とにかくが気になってしょうがないのだ。 「あらら、いらっしゃい栄ちゃん!」 「こんばんは、あの、の様子見にきたんスけど…」 部活が終わってから速攻での家に急いだ。といってもどうせ隣の家なのだから、帰宅するのとほぼ変わらない。の母さんは俺のことを幼いときと変わらずに「栄ちゃん」と呼ぶのももう聞き慣れた。 「わざわざごめんねえ〜、珍しく風邪なんて引くもんだから栄ちゃんもびっくりしたでしょ」 「そりゃあもう(かなりね、かなり)」 「部屋で寝てるだろうから…あ、じゃあこれ持ってってもらえる?」 そう言っておばさんが手に持っていたミネラルウォーターのペットボトルを手渡された。怪しげもなく風邪を引く彼女の家に上がれるというのは幼馴染の特権だ。「はい」と笑顔で返事をしてこれもまた上りなれた二階への階段を、いつもより静かに上がった。二階の右突き当りがの部屋だ。 そういう経緯があり、冒頭に戻るわけである。 俺はとりあえず重いエナメルバッグを置き、ベッドの傍らに立って寝ているを見下ろした。 (…よく寝てんなぁ) しかし口で息をしていて、荒い。顔も、暗くてわかりずらいが少し赤いようだ。額にはおばさんが貼ったのであろう冷えピタが。どうやら俺が思っていたより随分と熱は高いようだ。俺は勉強机に添えられているイスをガラガラと引っ張ってきて元の位置に座った。手には冷えたペットボトルが握られている。ベッドの横の間接照明のスイッチを入れると、柔らかい光が俺とに降り注がれた。暗い部屋の中がぼうっと明るくなる。 (…むぼーび。) 風邪を引いている女の子に対して、決して言える言葉じゃないだろうが。 冷えピタの上に手を置くと、もう既にそれは暖かくなっていて、冷えピタの効果を成していなかった。きょろきょろとあたりを見回すと俺の脚元に冷えピタの箱が落ちていたので、その中から一枚取り出した。そして、の額にあるそれを、目が覚めないようにゆっくりと剥がす。前髪をどけて静かに新しいものを貼ると、ふるふると瞼が揺れた後には眼を覚ましてしまった。(やべっ) 「…えーじだ…」 「お、おう、えーじだぞ?」 「…んん…」 が起き上がろうとして腕に力を入れたようだったけど、「いいから寝てろって!」と言ってそれを制した。いつもなら意地になって起き上がってくるだろうに、今日のは素直だ。諦めて元通り、ベッドに横になった。 「なしたの…」 「や、お前風邪とか言うし」 「心配した?」 「そりゃしたわ、それなりに。」 「…そっかあ…」 まだ少し熱が高いためだろうか、歯切れが悪い。それでも俺の言葉にへにゃりと顔を緩ませるを見て俺は少し安心して、バレないようにほっとため息をついた。 「あ、これ、おばさんが。喉乾いてる?」 そう言って手に持っていたペットボトルをちらつかせると、「ちょっと乾いた…」と言って首を縦に揺らした。しかし起き上がるのも辛いだろう、さてどうしたもんか。と考えているうちにいい考えが浮かび、俺はペットボトルのふたを捻って口をつけた。 「ちょっと、栄治が飲んでどうすんの、あたしの…って、ちょ、」 混乱の表情を浮かべているこいつに顔を近づけてキスしてやった。舌で口を割って、口内に含んだ水を流してやる。その時に口から漏れた水分が、の口端を渡って首に一筋流れた。 「…ば、か!病人なんだよあたし」 「だから飲ませてやったべや、水」 さっきよりもさらに赤くした顔を見て、あーかわいいなーと思いつつ濡れたこいつの首を手で拭った。 「それに俺に移れば、お前早く元気になるでしょ」 別にかっこつけたわけじゃない、本心だ。なのには、「ばかえーじ…」と言って少し笑った。 「ほら、も少し寝ろよ」 「…えーじ」 「ん?」 「もう、帰る?」 そう言うの目は熱に浮かされてうるっとしていて、それに加えて上目遣い。はい帰りますと言える器じゃないのは自分が一番よく知っている。 「まだいるよ、そばにいる」 言い聞かせるように言うと、は「ありがと」と呟いてゆっくり目を瞑った。 夢に落ちていくこいつを見ながら、ああ早く元気になればいいなあと祈った。 (眠る君の横顔に微笑みを) |